泥濘(でいねい/ぬかるみ)

泥濘(でいねい/ぬかるみ)  田辺利宏作

寒い泥濘である。

泥濘は果てしない曠野を伸び

丘をのぼり林を抜け

それは俺達の暗愁のやうに長い。

それは俺達の靴を吸ひ

蛇のやうに疲労をからませる。

すべりころび泥まみれになり

汚れた手で鼻汁をすすり乍らも

見よ、兵隊たちは獣のやうに

野から丘、丘から丘へ続いてゐる。

黄昏れてゆく初冬の中を

苦悩に充ちた行列が

黙々として前進する。

敵を求めて

未知の地図の上を進んでゆく。

愛と美しいものに見離されて

ただひたすらに地の果てにむかひ

大行軍は泥濘のなかに消える。

長い悪夢のやうな大行列は

誰からも忘られて夜の中に消えるのだ。

 

1941年(昭和16年)8月24日 中国の江蘇省北部で、左胸心臓部にうけた貫通銃創のため戦死。26歳、陸軍伍長。

<一戦没学徒の戦線日記『夜の春雷』より>

8月6日(日)「『戦艦武蔵の最期』戦中・戦後・平成世代をつなぐ」
講師/渡辺總子女史が繰り返し読まれる「きけわだつみのこえ」です。